加藤将太:オートSNSフリー開発者プロフィール

加藤将太の経歴(概要)

データマーケティング株式会社 代表取締役
加藤 将太

経歴
京都大学工学部電気電子工学科卒業
京都大学経営管理大学院経営管理専攻事業創再生マネジメントコース終了 MBA取得
(株)NTTデータ 第一公共事業本部 第二公共システム事業部 勤務後、独立

データマーケティング株式会社の代表取締役社長を務める。経営歴10年。LINE集客に強みを持つ。

[京都大学工学部電気電子工学科を卒業]後、[MBAを取得]。15歳から22歳頃まで、米国で博士号取得を志す。20歳の頃に[人工知能(機械学習)に関する論文]、22 歳の頃に[電子工学分野でシミュレーション研究を用いた論文]を書く。在学中、同時に教職免許(中高数学・理科)の単位を取得(教育実習に行く時間が取れなかったため最終的に免許は未取得)。
20 歳頃、iPod nano サイズ(約 4cm)になった音楽プレーヤーを見て「もう技術は充分人を幸せにできる水準にある」「問題はその技術をどう活用するか」と考え、京都大学工学部大学院の他、日本人の生活を豊かにするため MBA にも挑戦しダブル合格。24 歳で卒業。

コンサルティング会社に内定するがリーマンショックの影響から組織再編の動向を察知し (株)NTT データ第一公共事業本部に就職(尚就職後、内定を得た会社は統廃合により社名変更される)。その後5ヶ月で退社し日本人の生活を豊かにするために教育、それも論理思考の基礎となる小学校高学年の算数の集団教育メソッドを開発・普及するため、灘中学合格率 No.1 の希学園(関西)にて算数科准講師として務める。塾設立以来最短(5 週間)で正講師に昇格。教育に強みを持つ。同時に最大約300名しか教えられない現状に民間教育の限界を感じ、公教育を変えるための影響力を、「官」より自由度の高い民間で身に付けるため起業。

IT技術等を活用して初年度1.1億円(2011 年)を売り上げ法人化。2012年には2.6億円を売り上げる。2013年には3,000名が自身が開催する経営セミナーに参加(累計5万名以上参加)。

直接の教え子である社会人生徒数も3,000名を突破。ITを駆使した自動化教育とコンテンツ提供、定着度をチェックするウェブ試験など、高い満足度と高い成功率を両立(芸能人も取材される[ウェブ雑誌]に取材記事が掲載)。

傍らで培った「IT技術」を活用し、2013年よりマーケティングで感じた不都合(シナリオを自在に遷移させられる)を解消するツールを自ら開発し、6年かけて『オートSNS』を開発・発売。[50を超えるメディアに掲載]される。発売年の2019年、法人のマーケティング支援を行う[データマーケティング株式会社]を設立し代表取締役に就任。

渋谷区在住。トイプードル3匹を飼っている愛犬家で愛妻家。

加藤将太

 

生い立ち・『オートSNSフリー』発売までの歴史

生い立ち
  • 0歳、清閑寺家(※)の末裔として東京に生まれる。
    (※)父方の曽祖父。藤原北家 勧修寺流の公家で、十三名家の一つ。爵位は伯爵。現在、華族制度は現在廃止されていますので、育つ上での実感は当然ですがありませんでした。父は父の祖父からその精神面(元・公家であることの態度と精神に関する責任)を厳しく躾けられたらしく、そのせいか、僕は父には勉強しろとか、良い大学に行けと言われた記憶は全くありませんが、精神性に関する正しさは口やかましく教育されたように思います。その影響か、僕は6歳で世界人口がこのまま増えたら成り立たなくなる、どうしようと悩み、10歳で世界の戦争を心配し、18歳頃、日本の教育を良くするという現実的に影響力を与えられる目標にようやく辿り着きましたが、それまではアイデンティティに悩んだものです。その手段としてMBAを経て経営者を目指す訳ですが、MBAに進学した当時父には「アメリカの資本主義の奴隷に成り下がるのか」と怒られたものです(父は戦争経験世代です)。今は、行動の理由が説明できるので仲は良いですが、当時は情熱しか無かったため、選択の正当性を説明するのは難しかったのです。
  • 2歳、兵庫県西宮市に引っ越してくる
  • 11歳、塾に行かずに全国模試でTOP10に入る。
    その後、人に勧められて受けたMENSA試験に合格。
  • 15歳、エンジニアだった父に触発されて入学した高専(※)で硬式テニスと出会う。
    勘違いされる方も多いのですが、高専は工業高校ではなく、高校でも、短大でも、大学でもなく、”高専”という一つの教育機関の名称です。当時、地元の学区から進学できる一番良い公立高校(西宮市立西宮北高校 理数科)を上回る偏差値(65前後)がありました(尚、同高校 理数科は名称変更の後、2003年に募集停止され普通科のみになったので、この傾向はますます顕著です)。参考:兵庫県高校偏差値一覧
  • 17歳、硬式テニス朝日新聞杯ベスト8。
    テニス費用はアルバイトで賄う、という方針のため土日に働いている間に、月々30万円の支援を得て個人コーチを付けてもらっている同級生を見て「始めたのが遅くても、上達速度だけでも上回る」という当初の目標達成は困難だと感じ、テニスを一時休止。強みを振り返って、テニスと同じような興奮を自分に与えたものとして、留学に思い至る。
    大学院で奨学金留学する、それも遊びや語学のための留学ではなく、Ph.Dを取得するという目標を立てる。
  • 激しいテニス練習環境と学習環境が両立できる。
    京都大学(当時関西学生2部リーグ、国公立大学としては強かった)を目指す。テニスの練習再開を目指して。
  • 19歳、高専でTOEIC850点を獲得。
    その他京都大学工学部に合格(神戸高専同学科から合格は創立以来初(※当時の神戸高専の担任教師談))。
    尚、高専卒業生全国約1万人中、京都大学と東京大学には毎年合わせて30~50名程しか合格せず、その進学率は全体の0.5%以下と、高校→東大・京大ルートより実は狭い。その内訳も、当時京都大学は約15名合格、東京大学へは約25名合格と、実は京都大学の方が数的には狭き門であった。このような情報不足の中、道を切り拓く術はこのあたりで学ぶ。
    また、「人はやれば出来る」という信念を深くし、自分ではなく他人も出来るはず、という教育への情熱をこの経験からも深める。
大学時代
  • 19歳~21歳”暗黒の大学生生活”
    この2年間にした事は
    「教職科目(中学・高校×数学・理科)と合わせて2年で約140単位取得」
    「社会人プロ劇団のための活動(主として発声練習。後のセミナーに活きる。)」
    「2つ起業(うち1つ利益化。詳細は後述)」
    「往復4時間の自宅からの通学時間中の英語学習」
    「学会資料翻訳のアルバイト・学会の英語書記アルバイト」
    「全ての教養科目に本気で取り組みオール優」
    「個別指導・家庭教師等の受け持ち」
    「学習指導方法論の習得(主として読書)」。人生で一番忙しかった時期かもしれない。
    振り返ると”何かの能力は身に付いた気がするが忙し過ぎて覚えていない(笑)”。
  • 20歳、UCバークレーに短期留学。憧れだった留学を果たす。
    しかし、多忙により教職のインターンに留年なしで行く時間が取れず、免許の取得までは至らなかったこと、年100~300万円稼ぐアルバイトの継続と2つの起業、テニスの練習時間確保ができなかったこと、7年続けた工学部での学習と2度目の研究・論文執筆など、振り返ってみるがそれでも「冒険」が少ないように感じた。そして留学は渡米そのものではなく「冒険」が目的だったと気付き、当面の目的を経営に変更(最終目標が教育であることは変わらず)。
    その前段階として京都大学MBA経由でコンサルに入る事にする。
    つまり、コンサルで経営を学ぶ→経営で影響力を付ける→教育を変える。
  • 21歳、2つの起業
    ベトナム人とベトナムにITをアウトソーシングするベンチャー立ち上げを試みるは知識不足から挫折(1つ目の起業)。目標を小さくして学内ポータルサイトを立ち上げて軌道に乗せる(2つ目の起業)。
    (その後後輩に経営を任せ、年50万円程の不労所得化に成功。)
  • 22歳、1ヶ月の勉強で京都大学MBA(経営管理大学院)に合格。
    今までの一応の総復習として、3日間の勉強で、京都大学工学部の大学院にもダブル合格。
  • 24歳で予定通り京都大学大学院を卒業。
    大学院では学生団体を作り、同級生15人の協力を得て、述べ500名に就活を指導。
    京都大学の中でも、外資系コンサル・金融・総合商社等、いわゆる難関就職先へ多数の合格者を輩出。尚、この時主催していた練習会に企業を呼んだところ、協賛金が得られたことから、これを事業化すれば年商数億円の売り上げになる事を考えたが、「人生をかける程の事業ではない」と感じ、一度就職することにする。
  • 戦略コンサルティングファームとIT企業の内定を獲得。
    迷った末、急がば回れでIT企業へ。
    つまり、事業会社の力学を学んでから→コンサルで経営を学ぶ→経営で影響力を付ける→教育を変える。
教育業界への参入
  • 当時ルーチンワークとして担当していたデバッグプロセスを自動化し、手動でやっていたデバッグからレポート出力まで自動化するツールを考案し、残業して完成を試みる。
    しかし、課長に見つかり、残業してはいけないよと訓示を受ける。
    そこで、会社に迷惑をかけないため早朝出社して完成を試みる。しかし、早朝出社と時短勤務をしていたワーキングマザーに「おはようございます」と声をかけられる。
    ドキドキしながらも「おはようございます」と返したが、その夕方課長から呼び出されてやはり勤務時間外の勤務はいけないと訓示を受ける。「事業会社では何も新しいことはさせてもらえない。これなら脱サラして自分のやりたい事でできることをやろう。」
    そう考え、5ヶ月で脱サラし、予定していた全てのプロセスをすっ飛ばして教育を変える活動を始める。
  • 24歳、関西の大手中学受験塾の希学園に算数科非常勤講師として入社。
    同一教育システムでは1000人受験し、1年以内に正講師になれるのは40人(25人に1人)という状況(※1)下で、独自の上達理論により、5週間(1年の10分の1の時間)で正講師に昇格。
    算数科講師において創立20年来初の快挙(※2)。※1:同一の教育システムを採用する浜学園で受験時の試験官談。
    ※2:当時の希学園教務課の算数科担当講師より。尚、講師の能力系は「ラジオのようにしゃべること」、「綺麗な板書をすること」「生徒と対話すること」であり、これら能力を別々に鍛えた。具体的には、板書:直線、円、文字を1日8時間練習、しゃべり:名物講師のDVD音声を全て書き起こし暗唱、生徒との対話:週に1度だけテスト監督として練習、等。
  • 25歳、日本最高の算数科講師になっても、日本の教育は変わらないと気づき、影響力を身に付けるために経営を開始つまり、経営で影響力を身に付ける→教育を変える。
    全国展開という道筋が見えた物販事業から始める。
教育事業を興す
  • 26歳、創業初月で3名を雇い、1年で延べ1000名以上を面接し社員数十人を使う社長に
  • 27歳、創業1年目で1.1億の売上を達成。
    1年2ヶ月後の2013年3月、Amazon法人部門月間売上高2位(4583万円)を達成。日本の中古書籍の買取価格相場を3倍にする事を目的に、店舗展開を目指し邁進。
    手始めに金券ショップなどへ古本買取代理店を5店舗開拓、年商1,000万規模まで育てる。
  • しかし、販売の拠り所だったAmazonから、倉庫の設立計画が変わったから17万冊あった在庫を大幅に減らすよう指示され、一時営業停止により対応せざるを得なくなり挫折。
    大手の都合で経営計画を変えざるを得なくなるという危険性から、インターネットによるノウハウ付システムの貸し出し販売(ASP事業)に変更。※1日で脳内成功させられない事業はうまくいかない、という感覚の形成。物販事業は事業モデルが事前に見えていたので上手く行ったが、買取店の全国展開は、仮説はあったが事業モデルがはっきりせず、また問題が起こった際の解決策の制定も不十分であった。
  • 28歳(2013年)、MBAとコンサルを目指す中で培った経営、構造化の力と起業経験を組み合わせたセミナー「次世代起業家育成セミナー」をシリーズで開催。
    大々的な宣伝は行わず、それまで自分に魅力を感じてくれた方々に対する集客だけで累計3,000人を集める。

    次世代起業家育成セミナー風景
    オートSNSを6年かけて開発

    • 28歳(2013年)、メルマガ配信スタンドの問題点(メールアドレスしか特定できるID(ユニークキー)が無く、配信シナリオを移動した際に顧客情報を引き継ぐには外部システムの開発と連携が必須&顧客情報の引き継ぎが保証されない)を解決し、顧客行動を元にしたスムーズな配信シナリオの切り替えを可能とした、視覚的にメールのステップ配信と顧客情報を保全しながらのシナリオ移動を可能としたツール”Visual Marketing Analyzer(VMA)”開発に着手。vma開発画像

     

    • 30歳(2015年)、「次世代起業家育成セミナー」を専門に運営する教育専門会社「マーケティングコンサルタンツ株式会社」を設立、代表に就任。後に生徒数3,000名突破。地上波テレビで15分間特集。
    • 31歳(2016年)、経営に関するDVDを発売。
    • 32歳(2017年)、当初1年の開発期間が4年に伸びたため、VMA開発を中断。
      学んだことは①システム開発期間の基準:開発期間2倍で目処が立たなければ中止、開発期間3倍で中断という基準、②最少人員:開発を完結できる能力が必要充分のフルコミットできる最少人数を充分な報酬で囲い込む。教育が必要な人員を開発に加わらせない、③プロトタイプ:画面の出力イメージを最初に作成。上記反省点を踏まえ、時代を踏まえ、スマホとLINEに特化してプロジェクトをやり直し。オートSNS開発に着手(当初開発名はオートLINE)。ベトナムに外注。
    • 33歳(2018年)、バグは多いもののオートSNS[α版]が完成。バグが多いため発売はできず(オフショア開発により、いつの間にか上記”②最少人員”が崩れていた、つまり能力が必要充分でない開発要員が業務委託開発の性質上組み込まれていたのが失敗要因。”③プロトタイプ”を代表自ら作成したため完成に漕ぎ着け、また”①システム開発期間の基準”に従って開発中断)。システム開発の難易度の高さを痛感。
    • 34歳(2019年7月)、「次世代起業家育成セミナー」の生徒が育ち、自らシステムを開発・発売した経験を持つシステム開発協力者が現れてα版を完成にこぎつける。ここに「オートSNS」が6年越しに完成する。次の3つを特色として業界に最大限の貢献を目指す。
      1. フリープラン有(月額0円~の自動化)
      2. 自由自在な配信シナリオ移動
      3. スマホ対応
      4. 外部システム連携(外部API完備)
      オートSNSについて
      • ステップ配信/商品販売/顧客管理が無料でできる
      • 無料で送信数無制限・友だち追加数無制限
      • 配信シナリオ切り替えが自由自在

      オートSNSフリー

     

    メディア実績

    DVD販売

    加藤将太✕池本克之の対談DVD
    「年商3億円を1年で18倍以上、4年で120億円の上場企業に育てた経験の全て」を聞き出しました!

    年商3億円を1年で18億以上、4年で120億円の上場企業に育てた経験の全て

    Amazonレビュー
    2社を100億円企業に成長させた会社の成長請負人、組織学習経営コンサルタント池本克之氏と、KDCホールディングス株式会社 他3社を経営するシリアルアントレプレナー・経営コンサルタントの加藤将太氏との対談DVD。加藤氏がインタビュアーとなり、池本氏の学生時代からサラリーマン時代、社長時代、そして現在にいたるまでの人生と「上場するための組織の要件」に迫ります。

    ※現在、上記DVDは下記から無料進呈中のため、興味がある方は[こちらからご登録>>ください。

    テレビ出演

    弊社代表が、地上波テレビ「社長のホンネ研究所」で15分間特集されました。